『前太平記』とは
●成立と作者
『前太平記』とは、藤元元著の、「通俗軍記物語」である。作品の正式な成立年代は不明であるが、少なくとも江戸時代初期、1677~1692年の間の活字出版が盛んにおこなわれるようになった時期かと思われる。
●現在の所蔵先と出版物として
現在、『前太平記』は国立公文所館内閣文書に所蔵されており、国書刊行会より、板垣俊一氏校訂によって、上下二巻で出版されている。本出版物には、板垣氏の『前太平記』の解題が載っているので、私の訳を読み、この作品のことをもっと知りたいと思う方いらっしゃれば、大学や地域の図書館にあるかと思うので、是非一度手に取ってみることをお勧めする。
●内容と作品の分類
本作品の内容を簡単な言葉で記すならば、平安中期を舞台に、朝廷と清和源氏が中心に描かれた動乱の記録である。物語は、第一話が「源家濫觴事」というタイトルから分かるように、源氏の発生から始まり、その後二百年間の数々の事件と源満仲、頼光、頼信、頼義、義家、義忠、為義の七人の関連を描いている。この作品の柱刻が「源氏七代之武備」とされているのもそのためである。
数々の事件というのは具体的には、平将門と藤原純友の反乱や、安和の変といった戦乱のことであり、軍記物語・歴史物語的な要素が強く、作者もそのことを意識して、軍記物語『太平記』の(だいぶ時代をさかのぼりはするが)前の時代を舞台としているため、『前太平記』という名が用いられたと思われる。ただし、それらの事件の中には、源頼光の「酒呑童子退治伝説」や、渡部綱の「一条戻橋伝説」などの魑魅魍魎退治の伝説もあり、多少説話的な要素も含まれているように思われる。
そういったことを、「真実」の歴史として扱っており、もしかしたら、本作品は、現代でいう多少の脚色を加えた歴史小説、あるいはライトノベルのようなものだったのかもしれない。
●当時の民間に与えた影響
先にも記した通り、この作品は江戸時代初期に成立した文学である。その当時は出版事業も活発に行われ、井原西鶴らの活躍もあり、文学は教養の面と共に、娯楽の要素を含んでいったと思われる。そのような最中に誕生した『前太平記』は、出版後、歌舞伎の題材として用いられたり、江戸時代後期には『前太平記絵本』や『前太平記図解』などの書が生まれたり、山東京伝などの作家たちのネタ本であったりと、本作品は当時民間で大変人気の作品であった。おそらく、これらのことから『前太平記』は江戸時代の町人文化の最先端にあった文学なのではないだろうか。
●まとめ
『前太平記』は、誕生から約300年の時がたち、出版当時は多くの人に愛された作品であった。現在、本作品は翻刻され二冊の本とされたが、残念ながら、今日まで全文の現代語訳はなされず、私の調べた範囲であるが、作品自体への研究論文もない。その一方で、『前太平記』の中盤頃から大きく活躍し始める、源頼光と、彼に仕えた頼光四天王、そして酒呑童子などを取り扱った論文や著作には、必ずと言っていいほど『前太平記』の文字と、作中からの引用文が用いられる。私自信、『前太平記』の存在を知ったのは、「酒呑童子退治伝説」のことを調べていた時だった。しかし、それらのことを知りたくても、『前太平記』は研究もなされていなければ、現代語訳さえも存在しない。翻刻された本があるといっても、当然であるが、古語で書かれているため自力で訳すことでしか知ることが出来ない。それが、私が本作品を全現代語訳し、それを公開することにした理由である。
今回、私の作成した現代語訳を公開することで、私のように『前太平記』や作中に登場する人物たちのことについて知りたい人が、訳がないことで知ることをあきらめてしまわないための多少の手助けとなり、『前太平記』がどのような作品かということを多くの人に知ってもらいたい。そして、私の訳を読んだ誰かが『前太平記』に興味をもって、作中に出てくる事柄や作品自体を研究してみよう、このことを題材にして新しい物語を作ってみようと、そう思ってくれた人がいてくれたら嬉しく思う。
もしも、掲載の体裁や誤訳等のご指摘がございましたら、私もよりよい訳を作ることを心掛けておりますので、メールやtwitterでお気軽にお知らせください。
最後となってしまいましたが、今回サイトの立ち上げに伴い、『前太平記』の原文の一部の引用を許可してくださった板垣俊一先生、国書刊行会様、国立公文所館様、そして、高校生のころから私のこの取組を一番応援してくれた恩師のF先生に心からの感謝を申し上げます。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
途方もない長話となりますが、これから始まる平安の勇士たちの物語が、読む人に何かしらの刺激を与えられたら嬉しいです。
それでは、いざ、『前太平記』、はじまりはじまり。
海熊童子
2015/5/23
2021/3/21改訂
●参考文献
高田衛・原道生責任編集 板垣俊一校訂 『前太平記』上 国書刊行会 昭和六十三年